かむおん日記

僕はあるときダイソーで買い物をしていた。

その時に心をつらぬいた、衝撃の声があった。

それは、僕の数メーター背後で、小さな娘を連れたお母さんが言った

『なぁに?』

ただ、その一言…


そのひとことは、娘が『おかあさん?』との呼びかけに、
おかあさんが返事したもの。

僕はあまりの衝撃で振り返ることもままならず、買い物かごを抱えたまま
その場にボーッと立ち尽くしてしまった…

なんで『なぁに?』に立ち尽くすほどの衝撃を受けたのだろう…

それはあまりにその言霊が深くて純粋な愛情に満ち溢れていたから…

そしてお店から帰りながら思った。
ああそうか、子供から、おかあさん、って呼ばれて、
あのお母さんは知っていたんだ。
返事をするのが主体なのではなく、返事をするという行為を通じ、
愛情を注ぐことなのだと・・・

言語を超えたやりとり
娘は愛情をちょうだい と言っていて、
おかあさんは、それを十分に満たす愛を与えた。
言霊によって。

ただそれだけのこと

そしてそれは、まぶしすぎる親子の心の交流のひとコマだった…


その一週間後、別のダイソー(またダイソー?どんだけ(笑))
にて、全く同じ場面があった。

娘のお母さんとの呼びかけに、お母さんが答えた。
『もう…なんね…もう、いいからはやくしてよ!』

その言霊は、色で言うと、薄暗い灰色とこげ茶で、
体感で言うと、背筋が冷えて胸が苦しくなり、意識が
渦のようにもうろうとなる作用があった。

振り返ると、その言霊を受けた子共は、さらに悲しそうな雰囲気になり、
あれ買う、これ買うと駄々っ子をはじめた。

そうか、このお母さんは気づいていないんだ、
呼びかけの中に愛情を込めれなかったから、こどもは
モノを買ってもらうという、より物質的な行為の中で
その欲求を満たそうとしてしまったことを。
掛け違いのループはこうやって作られ始まってくんだ…

言霊というダンボールに何を詰めて届けるかで、
自分や周りの人生を左右させるほどの力がある。

乾燥には潤いを
寒さにはぬくもりを
息苦しさには風通しを

ダイソーで同じ場面が用意され、
2組の親子という教師が、
自らの生き方、
そしてモノ作りのより深く大切な何かを
教えてくれた気がした。

きっと一生忘れない思い出。